自治体が実施する、一般介護予防事業「運動器機能向上」「口腔機能向上」「栄養改善」「住民主体の運動自主グループ立ち上げ支援および活動継続支援」等を受託しております。
近年、自治体から求められている成果は、運動器機能向上以上に「運動自主グループ」の立ち上げと、そこから「介護予防を通じた地域づくり」「地域共生社会の実現」へと発展させることです。
これは、事業終了後の運動継続等の通いの場づくりだけでなく、要支援者等の生活支援を視野にいれたものです。
自助・公助・共助のバランスを意識して取り組ませていただいており、特に自治体からは、自助・共助の構築を期待されています。
働く人=傍(はた)を楽にする人=生かされる人
労働とは違います
(長文になります…)
【介護予防事業に取り組む姿勢】
当事業所の介護予防事業は、介護予防のための運動方法をお伝えすることや、運動効果を示すことは当然ですが・・・
・どのように生きて、どのように最期を(ストレートです)迎えるのか
・充実した人生とはどのような生き方か
・そのために、今、何が必要なのか
というメッセージを込めて、面白おかしく開催しているつもりです。
【メッセージの一例】
~運動継続へのメッセージ~
「得よう」とする生き方より
「与える」という生き方が継続に繋がる
【解説①】
自分へのエネルギーより
他人へのエネルギーの方が大きい
これは
「自分の健康のために運動をしよう!」
と思ってはいても、甘えが出て続かないことが多く、自分に言い聞かせて頑張る必要があるが、
「子どもや孫、仲間、お客様のために!」
と思う運動や行動には「貢献したい」「喜んでほしい」という気持ちがあり、それが自然に湧き出る原動力となっていつの間にか運動や行動をしていた、行動そのものが運動になっていたということです。
毎日の料理はおっくうでも、子や孫が帰省してくる時などはものすごい料理が作れますものね。
つまり
「人の役に立ちたい!」
と自覚の有無に限らず自分に誓いを立てている人は、運動(日常生活)に取り組む姿勢にも勢いがあります。
この大きなエネルギー源は「愛情や感謝、慈悲の思い」です。
言い換えると「見返りを求めずに与える」ということでもあります。
(時々ボランティアの方で、喜んでくれなかったり利用者が少ないのは相手が悪いとか、ボランティア仲間の意識が低くてイライラするという声を耳にしますが、自分の意識から起こった行動そのものが(上手でなくても)喜びであって、結果に過剰な反応をしている(ありがとうを言ってもらいたい。ボランティアはもっと頑張ってちゃんとして欲しい)から起きる感情ではないでしょうか? いずれ息切れして続かなくなるでしょう)
運動指導の現場で時折見受けられるのが、自分のために「得よう」と奔走している人は、「これだ!」と見つけたはずなのに、エネルギーが小さいため続きません。
さらに満足を求めて次から次へと運動方法を追い求め、時には周囲に迷惑をかけ、やがて心身ともに疲弊し、結局何も身につかず、結末は思考停止にもなり得ます。
介護予防には、運動テクニックは必要なことですが、それ以上に「生き方」というものが問われます。
「与える」という大きなエネルギーを持てる人は、実践力が違います。
「大きなエネルギー」
【解説②】
自分の努力で生きてきたのではなく
万物(他人)に生かされていた
これは
・今まで面倒と思っていたことが、失ってみると、自分の役に立っていたことが分かった!
・自分が頑張っているつもりだったが、努力する環境を万物(他人)に与えられていた!
・努力することを許されていたことが分かった!
・自分の力で生きているのではなく、自分は生かされていたということに気が付いた!
・今の現状は、既にとてつもなくありがたいことだった!
という考え方です。
人は自然の一部であり、それは大いなる循環の一部(生まれて枯れてまた生まれて)ということです。
自然とは、周りに様々なものを与え続ける存在であり、長い目で見れば互いに生かし合っています。
人も与え合うことで、互いに生かし合うことができると考えます。
自然も人も生まれたなら、老い・病気・死というものは必ずやってきます。
これをやたらと避けようとせず、正しく受け入れることも楽な生き方で自然です。
しかし
・物事は有って当たり前
・してもらって当たり前
・他人の失敗は許されない
・失いたくない
・得をしたいが損は嫌
・老いや病気は恥ずかしい
という発想(執着)で生きている人には、与えるという発想から遠ざかります。
与えることができない人は、他人を蹴落としてでも欲しい!という思考が、自覚の有無にかかわらず染みついているものです。
「もっと欲しい、もっともっと・・・」と際限なく追求し、何でも当たり前に感じ、「目の前のありがたさに気づく余裕がない人」ということになります。
このような「奪う」行動は不自然であり、淘汰される状況に置かれます。
もし、与えられた(得た)ならば、「感謝の気づきがある」ことで自然の循環からはみ出ないようにしたいものです。
願わくば、「常に小さなありがたいことに気づきながら生き、そう言えば充実した人生だったな...」となりたいなぁと思います。
介護予防においても、運動をすることは大切なことですが、そこに「感謝の気づき」がなければ、
・誰からも応援されない
・ケガをする
・続かない
・結果が出ない
ということになる、とは考えすぎでしょうか・・・
「感謝ができる」生き方が生かされることになります。
「感謝の気づき」
【解説まとめ】
大きなエネルギーと
感謝の気づきにて
与えること(運動継続)ができる
若い間は物質的な豊かさを求めて生きていく必要が、現在は確かにあります。
社会全体が“他人よりも多く得らなければ”という風潮になっています。
やがて老いと共に心身の限界値が下がり、精神的に落ち込むのか荒れるのか豊かになるのかという分岐が生じてきます。
豊かに老いるとは精神的な豊かさ(与えるという生き方)であり、介護予防事業においてこのことに気づく良いきっかけになると思っております。
以上、これらを実践する場、確認しあう場が運動自主グループであり、これを地域に波及していくことで安心して暮らせる地域づくりに繋げていければと思っています。
行政は、ボランティアを養成することや地域共生社会の仕組みづくりおよびテクニック等を真似ることばかりに目を向けていると、様々なエネルギーが足らなくなり事業は失敗するような気がします。次々と形を変えた事業展開をすることは実績にはなりますが、住民の喜びがそこにあることを願ってやみません。
【追記】
「与える」というイミを知っているグループと、「得よう」とするグループとでは実践力が違い、やはり淘汰されているようです。
所詮ネコパンチのような指導力ですが、全力で取り組まさせていただいております。
当事業所ではこのような地域づくり支援と合わせて、地域間の交流支援も行っております。
当事業所が立ち上げに関わった運動自主グループ間の交流会を行っております。
市町村や事業の枠を飛び出した楽しい活動を通じて、いつの間にか介護予防に繋がっています。
所詮ネコパ~ンチ!